大泉町の町指定文化財
更新日:2021年1月27日
大泉町の町指定文化財
石造地蔵菩薩
読み:せきぞうじぞうぼさつ
本地蔵菩薩は、戦国時代の永禄12年(1569年)に造立された町内最古の石像で、本町の地蔵菩薩信仰の歴史を研究するうえで貴重な資料となっています。
昭和54年11月30日に、大泉町指定重要文化財に指定されました。
石造地蔵菩薩
阿弥陀三尊板碑
読み:あみださんぞんいたび
本板碑(いたび)は、本町最古の金石資料で、永仁2年(1294年)の銘があります。
板碑(いたび)は板石塔婆(いたいしとうば)の別名で、板碑(いたび)には阿弥陀如来と観音・勢至の両菩薩が梵字で刻まれています。五輪塔の形を簡単にした塔婆として、鎌倉時代から室町時代に広く民衆に受け入れられました。
昭和54年11月30日に、大泉町指定重要文化財に指定されました。
阿弥陀三尊板碑
白石家文書(346点)
読み:しらいしけもんじょ(346てん)
白石家は、江戸時代より古海岸で川岸問屋を営んでいた旧家で特に同家の文書には、江戸と東毛間の商品の流通量および品目が知れる貴重なものが多数あります。
昭和58年12月1日に、大泉町指定重要文化財に指定されました。
なお、個人所蔵のため、公開されていません。
小泉神社本殿および彫刻
読み:こいずみじんじゃほんでんおよびちょうこく
この本殿は、幕末の嘉永元年(1848年)から嘉永7年(1854年)までの7年間をかけて武蔵国足立郡上尾駅の「内山山城正(うちやまやましろのしょう)」により造営されました。
総欅造りで、屋根は銅板葺、間口1間、奥行1間半の大きさで、外壁および向拝柱の彫刻は逸品です。
昭和58年12月1日に、大泉町指定重要文化財に指定されました。
小泉神社本殿および彫刻
社日稲荷神社探湯神事
読み:しゃにちいなりじんじゃくがたちしんじ
探湯は、社日稲荷神社の特殊神事で、神前に供えられている大釜中の熱湯に小笹を浸し、それを全身に浴び神に忠誠を誓い、神託を仰ぐという内容のものです。
本来、人心の善悪を探るものでありましたが、現在では、家内安全、厄難除け等の神事として受け継がれ、文化13年(1816年)以来、豊作祈願とその実りに感謝の意を捧げる社日神社の三月と九月の例祭に併せて行われています。
昭和54年11月30日に、大泉町指定重要無形文化財に指定されました。
社日稲荷神社探湯神事
仙石ささら舞い
読み:せんごくささらまい
仙石地区に伝わる獅子舞で、登場する獅子には、ほうがん獅子、牡獅子、牝獅子の三頭がおり、これらの獅子が竹を細かく切り裂き束ねた「ささら」の音色に合わせて舞をおどります。災いを防ぎ、病魔よけとして舞われている仙石のささら舞いは、江戸時代の元禄年間から伝承されているものともいわれ、正月や春分・秋分の日などに演じられています。
昭和58年12月1日に、大泉町指定重要無形文化財に指定されました。
仙石ささら舞い
吉田西里神楽
読み:よしだにしさとかぐら
古代神楽は、神に捧げる神聖な舞いでありましたが、中世に田楽猿楽などと交流したことにより、庶民の娯楽として人々の間に広まりました。
本里神楽は、滑稽さを強調した江戸神楽の流れを引くもので近世末ころから吉田に伝わったといわれています。
昭和59年10月12日に、大泉町指定重要無形文化財に指定されました。
吉田の里神楽
小泉城跡(富岡城跡)附、城之内古墳(復元)
読み:こいずみじょうせき(とみおかじょうせき)つき、しろのうちこふん(ふくげん)
小泉城は、延徳元年(1489年)に富岡主税介直光(とみおかちからのすけなおみつ)により築城されたと伝えられ、以来富岡氏六代約100年にわたって同氏の居城となっていましたが、天正18年(1590年)豊臣氏の小田原攻めに際し落城したと言われています。
城は、囲郭式(かこいぐるわしき)平城の典型的なものとして著名なものです。
昭和54年11月30日に、大泉町指定史跡に指定されました。
小泉城跡
伝、児島高徳墳墓
読み:でん こじまたかのりふんぼ
児島高徳は太平記にその活躍が記されている南朝方の忠臣で南朝方の再興のため、新田義貞の故郷に近い邑楽の地で兵を募りましたが、願いかなわずして、古海の地で一生を終えたと言われています。
昭和54年11月30日に、大泉町指定史跡に指定されました。
児島高徳墳墓
青麻神社庚申塔(寛文9年銘)
読み:あおそじんじゃこうしんとう(かんぶん9ねんめい)
この庚申塔は、寛文9年(1669年)に造立されたもので、本町最古の庚申塔です。塔前面上部に日月、中部に二鶏、下部には三猿がそれぞれ配置されています。
昭和58年12月1日に、大泉町指定重要民俗文化財に指定されました。
青麻神社庚申塔
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