大泉町の歴史
更新日:2024年3月28日
旧石器時代(今から約1万2千年前よりも古い時代) | 御正作、仙石、間之原、古海などで、この時代に属する遺跡が発見される。 |
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縄文時代(今から約1万2千年前から約2千3百年頃) | 間之原、仙石、寄木戸で、この時代の住居址が発見され、仙石や間之原の遺跡では、この時代の土器や石器が多量に発掘される。 |
4世紀半ば | 古海松塚古墳が造られる。 |
5世紀末から6世紀初頭 | 古海原前1号古墳が造られる。 |
6世紀から7世紀 | 仙石、古海、古氷、寄木戸に古墳が盛んに造られる。 |
1185年(文治元年) | 佐貫広綱、佐貫庄の地頭となる。 |
1294年(永仁2年) | 阿弥陀三尊板碑(あみださんぞんいたび)が造られる。 |
1371年(応安4年) | 南朝方の児島高徳、佐貫庄古海郷に隠れ住むと伝う。 |
1382年(永徳2年) | 児島高徳、古海郷に死すと伝う。 |
1489年(延徳元年) | 富岡直光小泉城を築く。富岡直光により、社殿が再建される。(小泉神社) |
1590年(天正18年) | 小泉城、豊臣秀吉の家臣浅野長政・前田孫四郎等に攻められ、降伏。城が明け渡される。 |
1661年(寛文元年) | 徳川綱吉、館林城主となり、大泉町域の大部分は館林藩領となる。 |
1682年(天和2年) | 大泉町域の館林藩領は、旗本知行領に分割される。 |
1716年から1735年(享保年間) | 十能の製造法に桟瓦の製造法を加え小泉瓦(十能瓦)を産出する。 |
1737年(元文2年) | 古海村から善ヶ島村利根川渡船始まる。 |
1783年(天明3年) | 浅間火山大爆発。火山灰により作物大被害あり。 |
1800年(寛政12年) | 小泉城跡の大手門橋の傍らに百庚申塔建立される。 |
1844年(弘化元年) | 寺子屋自省堂、小泉堂開業する。 |
1854年(嘉永7年) | 嘉永元年に起工された小泉神社本殿彫刻が完成する。 |
1868年(明治元年) | 大泉町域の各村、岩鼻県の管轄となる。(6月17日) |
1869年(明治2年) | 大泉町域の各村、館林藩の管轄になる。(1月) |
1871年(明治4年) | 廃藩置県により、大泉町域の各村、館林県の管轄となる。(7月14日) |
大泉町域の各村、栃木県の管轄となる。(10月28日) | |
1876年(明治9年) | 大泉町域の各村、群馬県の管轄となる。(9月9日) |
1889年(明治22年) | 町村制施行。小泉村・大川村成立。 |
1902年(明治35年) | 小泉村、町制を施行して、小泉町となる。(7月25日) |
1912年(明治45年) | 大泉高校の前身の群馬県立館林農業学校開校する。 |
1917年(大正 6年) | 中原鉄道開業。 小泉-館林間10.7キロメートル、1日5往復。 |
1922年(大正11年) | 中原鉄道株式会社、上州鉄道株式会社と社名変更。 |
1924年(大正13年) | 中平四郎、作品名「読売」が日本美術院展に初入選する。 |
1936年(昭和11年) | 上州鉄道、東武鉄道へ売却される。 |
1938年(昭和13年) | 中島飛行機株式会社小泉製作所地鎮祭挙行。 |
1939年(昭和14年) | 東武鉄道仙石河岸線開通。(小泉町-仙石河岸・4キロメートル貨物専用線) |
1940年(昭和15年) | 中島飛行機株式会社小泉製作所は正式に太田製作所から分離し、独立工場となる。 |
1941年(昭和16年) | 太田・小泉飛行場完成。東武小泉線の西小泉駅が新設される。東武鉄道小泉-太田間営業開始。 |
1942年(昭和17年) | 中島飛行機株式会社小泉製作所の開所式、完成式典が挙行される。 |
1944年(昭和19年) | 「連山」の試作第1号が中島飛行機株式会社小泉製作所で完成する。 |
1945年(昭和20年) | 米軍機B29による大空襲。(4月4日) |
旧中島飛行場小泉製作所に米軍が進駐。「キャンプドルウ」となる。 | |
1947年(昭和22年) | カスリン台風による水害が発生。 |
1957年(昭和32年) | 大川村と小泉町が合併し、大泉町となる。 |
1959年(昭和34年) | キャンプドルウが返還される。 |
1961年(昭和36年) | 東京三洋電機株式会社の開所式が行われる |
町の紋章が決まる。 | |
1962年(昭和37年) | 交通安全都市を宣言する。 |
1963年(昭和38年) | 人口が2万人を突破する。 |
1966年(昭和41年) | 町営水道給水が開始される。 |
1969年(昭和44年) | 太田・大泉飛行場が日本へ返還される。 |
1970年(昭和45年) | 大利根工業団地が完成する。 |
1973年(昭和48年) | 大泉町公民館が完成する。 |
第1回大泉まつりが行われる。 | |
1974年(昭和49年) | 現大泉町役場庁舎が完成する。 |
1975年(昭和50年) | 老人福祉センターが完成する。 |
1976年(昭和51年) | 旧町役場庁舎を改築して、大泉町図書館(現在は施設の愛称名「ヴィアックス大泉町図書館」)が開館する。 |
1977年(昭和52年) | 大泉町発足20周年にあたり、大泉町民憲章が制定される。 |
人口が3万人を突破する。 | |
1979年(昭和54年) | 小泉城跡など5件が町の指定文化財となる。 |
1980年(昭和55年) | いずみ総合公園町民体育館が完成。 |
町民体育館完成を機にスポーツ都市を宣言する。 | |
1981年(昭和56年) | 全国高校総体女子バレーボール競技が開催される。 |
1982年(昭和57年) | 町発足25周記念で町の木・町の花が決まる。 |
水と緑のプロムナード「いずみ緑道」が全区間開通する。 | |
1983年(昭和58年) | 第38回国民体育大会が開催される。大泉町は、少年女子バレーボールの会場となる。 |
「小泉神社本殿および彫刻」など4件が町の指定文化財となる。 | |
1984年(昭和59年) | 吉田西里神楽が町の指定文化財となる。 |
1985年(昭和60年) | 古海原前1号古墳から銅鏡・直刀等が発掘される。 |
1987年(昭和62年) | 町発足30周年記念で町の歌を制定する。 |
文化都市を宣言する。 | |
ハナミズキ通りが日本の道100選に入選する。 | |
1988年(昭和63年) | 古海原前1号古墳が県の指定文化財となる。 |
1989年(平成元年) | 大泉町文化むら(現在は施設の愛称名「洋泉興業大泉町文化むら」)大ホール棟オープンする。 |
1991年(平成3年) | 人口が4万人を突破する。 |
大泉町文化むら(現在は施設の愛称名「洋泉興業大泉町文化むら」)展示ホール棟が完成し、全施設がオープンする。 | |
1992年(平成4年) | いずみ総合公園町民野球場(現在は施設の愛称名「ワカキヤ大泉町民野球場」)が完成。 |
1994年(平成6年) | 人権尊重と福祉の町宣言。 |
いずみ緑道が新・日本街路樹100景に選ばれる。 | |
1996年(平成8年) | 第9回全国スポーツ・レクリエーション祭ソフトバレーボール大会開催。 |
1998年(平成10年) | 大泉町行政情報番組「みみよりOIZUMI」をFM放送開始。 |
1999年(平成11年) | 広域公共バス「あおぞら」の運行開始。 |
2001年(平成13年) | いずみの杜(現在は施設の愛称名「東朋産業いずみの杜」)オープン |
国民文化祭・ぐんま2001のマンドリン・フェスティバル開催。 | |
2004年(平成16年) | ねんりんピックぐんまでソフトバレーボール交流大会開催。 |
2006年(平成18年) | 東小泉駅前安全センターがオープン。 |
西小泉駅前交番が再開される。 | |
2007年(平成19年) | 大泉町多文化共生センター開所。 |
2008年(平成20年) | 第45回ラグビー日本選手権で三洋電機ワイルドナイツ優勝。 |
古海松塚11号古墳出土品一括が県の指定文化財となる。 | |
ブラジル移住100周年で天皇・皇后両陛下ご来町。 | |
東毛広域幹線道路・大泉工区開通。 | |
2009年(平成21年) | 大泉町保健福祉総合センター完成。 |
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